水木しげる漫画大全集 全103巻+別巻5巻+補巻5巻+名刺入+「茂鐵新報」号外
買取上限価格150000円
著者 | 水木しげる |
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メーカー | 講談社 |
出版年月 | 2013/9/3~2018/5/2 |
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アイテム詳細
日本の漫画家である水木 しげる、本名は武良 茂です。
大阪府で生まれ、2歳ごろに父の故郷の鳥取県境港市入船町へに帰る。
大阪府大阪市住吉区で生誕。三人ご兄弟の次男である、ご両親が故郷鳥取県境港市入船町に戻りそこで成長する。ここに来てから、自宅に出入りしていた「のんのんばあ」と呼ばれていた家政婦の景山ふさという老婆から妖怪の話しを聴かされたことが、後々に作風へ影響をすることとなる。また子供の頃から絵図にも関心を寄せるようになる。高等小学校の時に画家でもあった教頭の呼びかけで個展をひらき、地方新聞にも掲載されたことがありました。
高等小学校学校を出た後は大阪に出てきて仕事を転々としたのち、東京美術学校入学を志し、入学に必要な中等学校卒業資格を手にするためいろんな学校へ行くが、いずれも順調に行かなかった。また、同じ時期に大阪の洋画教室に行き絵の基本を身に付けるが、21歳時点で召集令状が届いて、1943年にラバウル島へ出征した。さなかにマラリアを発症しているときに診療所が攻撃に遭遇し、左腕を切り落とす程のケガをするがを一命をとりとめて帰国が出来た。
帰国した後は武蔵野美術学校に通ったり、国中を転々として労働していたが、神戸市に元々あった「水木荘」といったアパートの大家となった時に、紙芝居語り手が水木 しげるに紙芝居の依頼をして紙芝居作家となった。
1958年に貸本漫画家へ転職するが、相当な貧困生活を強いられる。1959年に調布市の自宅を購入、50年以上に及ぶ生涯の住みかとする。1961年、40歳が目の前になりお見合いをすすめられて、飯塚布枝と結婚をした。後々に長女も産まれるが貧困生活は続いた。1964年に漫画雑誌『ガロ』で雑誌デビュー。貸本漫画として続けられた『墓場の鬼太郎』が『週刊少年マガジン』で連載されるようになり以降、人気漫画家として成功を手にするようになる。人気漫画かになってからは次女が生まれしたりととんとん拍子になったが、1980年代早い時期は一時的に停滞をする。しかし、1985年に『ゲゲゲの鬼太郎』が再びアニメ作品化がされ、話題を呼ぶ。境港市にはゲゲゲの鬼太郎のキャラたちのブロンズ像が立ち並ぶ水木しげるロードが出来るなど漫画家、妖怪研究家としてその地位を形成し、昨今に至る。
代表作としてはゲゲゲの鬼太郎、悪魔くん、河童の三平がある。とりわけゲゲゲの鬼太』と悪魔くんは何回もアニメ化やドラマ化がなされる程の水木しげるの代名詞となっている。また戦争中の経験やのんのんばあの話しなどをまとめた著書も数多く。1970年頃から妖怪研究家での著書も数多くある。
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